憲法案から天皇の在り方を見直してみたい

当サイトでは、「やまとの歴史に筋を通す日本皇国憲法案」というページがあります。

明治維新以降の大日本帝国憲法と、戦後の日本国憲法に筋を通す目的で考えてきたもんですが、やはり近代の立憲君主制としての物差しでしか表現できないのが悩ましいところ。

 

昨今の譲位の議論においても、「憲法」という枠組みだけで我が国日本の伝統や皇室の存在を捉える事が、なかなか難しい事に気付きはじめました。

ただし、今を生きる我々日本人にとっても、天皇陛下をはじめとした皇室の方々にとっても、すべての法令秩序の土台となっているのが憲法なのは、覆す事が出来ない現実。

 

今後、近代以前の歴史も踏まえた憲法案の在り方を、私なりに考え始めて見たいと思います。

皆さんも、「憲法」について深く考えてみるのはいかがでしょう。

今まで見えなかった視点が見えてきたりして、なかなか有意義ですよ。

 

考えるだけで何も変えない事、変えられない事が保守であるならば、私は保守でなくて結構。

何も変わらない物事は、必ず陳腐化と劣化が進行します。

今日の日本社会における「失われた20年」は、結局何も変えられずにデフレ経済で劣化した20年だったのだと思います。

 

表面ではいろいろ変わったかもしれないが、中身は何にも変わっていなかった。

そして、天皇陛下の譲位もまた、制度の中身は何も変える事が出来ないかもしれない。

 

このように考えると、この20年~30年右も左も関係なく、社会の主力として活動してきた世代の罪は大きいです。