打倒詭弁

私が某所で「山賊」として主張してきた意欲は「打倒詭弁」に尽きます。

とくかく自称経済評論家の上念司氏による弁論の衝撃は今でも残っています。

 

ただ、民主主義の世界においては、議論で相手を負かす事、自分が勝つ事は必須。

一昔前は本物の殺し合いで白黒つけてきたのを、口喧嘩に置き換わったようなもんですから。

 

敗戦後の日本は徹底した個人主義によって「声のデカい奴が偉くなる」という文化を生み出してきたんだと思います。

このような文化が、政界のみならず、民間企業等の組織にも蔓延している気がします。

 

でも、いつまでもこういう声がデカいだけの連中に負けちゃいけない。

やられたらやり返す。

 

こうして、私は「山賊」として主張を積み重ねてきました。

今はその山賊としての肩の荷が下りて、少しホッとしています。

 

詭弁と言うものに触れたがために、自分の純粋な志を見失った事に反省。

やっぱり「弁論」って大嫌い。こんなものに嵌まったら確実に人格壊れます。

 

これからもやる時はやるよ。

その場がちょっと変わっただけ。

と言う事です。